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区別とは?!差別とは?!どう考えるべきか?!それは正当か不当かで判断をするべきです?!

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区別とは?!差別とは?!どう考えるべきか?!それは正当か不当かで判断をするべきです?!

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はじめに

「区別」や「差別」という言葉は、日常的に耳にします。

そして「差別」については、特に「いけない事」と教育を受けてきていると思います。

これは、「人種差別」や「男女差別」など、「深刻な問題」がある為です。

しかし、この「深刻な問題」に引きずられるように、「分ける事」をなんでも「差別」と考えられてしまう事があります。

単なる「区別」だった事が、「差別」と言われ、問題視されるようになるケースも、実際にあります。

今回は「区別と差別について」と、「区別と差別の考え方」について触れたいと思います。

もちろん、「これが正解」という事ではありません。

あくまでも、「区別や差別を整理するための、ひとつの考え方」として、参考にして頂ければと思います。

区別と差別

「区別」と「差別」についてとなります。

「区別」も「差別」も同じ、「分ける事」となります。

「区別」とは、「違いを判断して分ける事」となります。

この「違い」については、特にルールはありません。

「見た目」かも知れませんし、「機能」かも知れません。

ただし、この「見た目」にしても「機能」にしても、「何を基準としたのか?」については明確にする必要があります。

「何が基準となったのか?」を明確にしないと、「分けた理由」が分からず、「分ける意味」も分からない為です。

一方、「差別」となりますが、こちらは「差をつけて分ける事」となります。

「差」とは、「優遇する」「冷遇する」というイメージとなります。

残念ながら、一般的に「差別」という言葉が使われる時は、「冷遇する事」を意味しています。

冒頭でも挙げた通り、「人種差別」や「男女差別」は、それらの「差で分けて、冷遇する事」となります。

「差別はいけない」という人は、これらの「差をつけて冷遇する事」を想定しています。

そして、この「冷遇する事」が、「差別を悪い方向へイメージさせている原因」となっているのですが、「差別は冷遇する事」ばかりではありません。

例えば、「弱者への配慮」となり、「弱者を優遇するケース」となります。

電車にはシルバーシートなどの「優先席」がありますが、これは「健常者と弱者の差」で分けているので、「差別」となります。

しかし、これを不快に感じる人はいないと思います。

「障害者用の駐車スペース」や「多目的トイレ」なども、同様の「差」で分けられているので、「差別」となるのですが、こちらも特に不快に感じる人はいないと思います。

このように、「差別」ではあるのですが、「良識的な考え方で優遇するケース」があります。

また、「ルールで定められた差別」というケースがあります。

例えば、「所得の高い人」は、「税金」を多く納めなければいけません。

これは「所得の差」で分けているので、「差別」となるのですが、「法律によって定められた差別」となります。

ちなみに「所得の高い人」は、「税金」を多く納めなくてはいけないので、この「差別」は「冷遇」となります。

交通機関では、通常よりもお金を多く払う事により、「グリーン車やファーストクラスなどの特別な座席を利用する」事ができます。

これは、交通機関の営業的な戦略でもあるのですが、「支払うお金で差をつける差別」となります。

お金を多く支払うことで、「優遇を受けられる」事となります。

このように、色々な形の「差別」があり、分けられた結果で「優遇されるのか?」や「冷遇されるのか?」が決まります。

ちなみに「区別」でも、「優遇」や「冷遇」につながる結果となる場合は、「区別の基準」が「差」となり、「差別」と言われてしまうケースがあります。

区別と差別の考え方

「区別」も「差別」も、同じ「分ける事」となります。

そして、「区別」が「差別」となってしまうケースがあります。

これは、「人の考え方」に強く影響を受ける為です。

これを簡単な言葉にしてしまうと、一般的に「多くの人が良いと思う事が区別」で、「多くの人が良くないと思う事が差別」となります。

これは、本来は「区別」にも「差別」にも、「基準や理由」があった筈なのですが、その「基準や理由」が「人の考え方」で変わってしまうという事となります。

言葉遊びのようですが、これは「優遇」にしろ「冷遇」にしろ、自分にとって「有利なのか?」「不利なのか?」が基準となります。

「区別」された結果、「自分に有利」ならば何も問題は起こりません

しかし、「自分が不利」になってしまうと、「差別」として、問題視される事となります。

実際に、何十年もの間、なんの問題もなく、「区別」と言われてきた事が、人の考え方が変わることにより「差別」となり、問題視されようになる事があります。

これは、今まで「有利」、もしくは「無関心」だった事が、「不利だ」と考える人が多くなった為となります。

本来、「区別」は「ある理由があって、ある基準をもとに、違いを判断して分ける」だけです。

しかし、そこに「有利か?」「不利か?」という人の考えが加わる事により、「区別」が「差別」となる傾向があります。

「有利だったら優遇なので区別は差別にならない」、「不利だったら冷遇となり区別は差別となる」といった感じです。

しかし、「差別」には「優遇」も「冷遇」も存在します。

したがって、本当に問題なのは、その「差別」が、「正当」か「不当」かとなります。

「差別」については、自分の考えに捕らわれず、「社会的に正しい事なのか?」を考える必要があります。

それが「正しい事」ならば、「正当な事」となります。

それが「差別」だとしても、「正当な事」であれば、問題にはなりません。

そして、「正当」であれば、「区別」と表現されるようになります。

このような考えのもと、「区別」と「差別」を使い分けて頂きたいと思います。

なお、現在、問題視されている「差別」は、この「社会的に正しい事なのか?」の考え方に根本的な原因があります。

「社会」は、「宗教」や「風習」や「歴史」など、さまざまな要素で成り立っています。

したがって、「社会的に正しい事なのか?」を考える前に、「社会は本当に正しいのか?」についても考える必要があります。

simacatより一言

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何かあるごとに、「それは差別だ」と口にする人がいます。

これは、他人と比べて、少しでも「自分が不利だ」と感じた結果、「差別をされている」と考えてしまうからです。

しかし、「差別の乱用」は、おすすめする事ができません。

「差別」は相手があって成立します。

「差別をされている」と言う事は、「相手を非難している事」となります。

変に騒ぎ立てると、名誉毀損の罪などで、最悪「加害者」となってしまう場合があります。

もし、本当に「差別」をされていると感じた場合は、「差別を受けた内容と時間」を記録してください。

そして、その記録を持って「弁護士などの専門家」に相談をする事をおすすめします。

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