お説教はウザい??ありがたい??お説教は受ける人の為の行為である筈!!
聞き流し用動画(YouTube)
はじめに
若い頃は、お説教をされる事が、しばしばあったかと思いますが、歳を重ねるごとに、その機会は減っていると思います。
「経験が浅い頃は、経験を補う為に、お説教は存在する」と考えると、「お説教も自分の成長に役立つ行為」とする事ができます。
したがって、無闇に嫌がる必要はありません。
しかし、単なるお説教であれば良いのですが、「ストレスの発散や嫌がらせ」としか思えない言動や、何を言いたいのか理解に苦しむような内容など、そんな事を延々と繰り返す様なお説教だと、非常に苦痛を感じる時間となります。
そもそも、お説教は「自分に足りない部分を指摘され、改善にむけた方法を教わる行為」です。
自分が感じる事のできない事柄を指摘されるので、理解に苦しむのは当然の事となります。
しかし、自分なりに理解をしないと、お説教をされる意味がありません。
お説教を受ける事となった時、自分に役立つ事柄とそうではない事柄を分けて、必要な部分のみを冷静に吸収をするようにしましょう。
お説教とは
本来、「お説教とは」どういう物なのでしょう?
まず、意味となりますが、「教訓をたれる」とか、「教え導く為に言って聞かせる」などとなります。
教訓については、誰かが思い、言った事柄に感銘を受け、その事を言い伝えると言う意味となります。
宗教の世界で、一般的に行われています。
また、子供の頃に親や先生から、社会人になると上司や先輩から、お説教を受けるケースがありますが、これは「教え導く為」となります。
これらは、「自分の足りない事柄」「自分に必要は事柄」「自分が失敗した事柄」など、様々な事柄について、「お説教をする人の経験や常識」に基づいて、「教え導く為の行為」となります。
本来、「お説教をする人」は、「お説教を受ける人」の事を考えて行います。
そして、「お説教を受ける人」も、その必要性を感じ、貴重な知識として、自分に取り入れます。
聞く姿勢
「お説教を受ける」時には、「聞く姿勢」という物があります。
これは、「お説教をする人」を怒らさない様にするという事ではありません。
「お説教を受ける人」は「お説教をする人」を信じるという事です。
そして、お話しを前向きに聞くように心掛けて下さい。
途中、不明な点があった場合でも、言葉を遮らず、一通りのお話しが終わってから、質問をして下さい。
どうしても、忘れてしまいそうな場合は、「メモをとっても良いか?」と確認をして下さい。
全ての行動は「お説教をしている人が決める」と考えて下さい。
そして、お説教の中から、できるだけ多くの事を自分に吸収する様にして下さい。
「お説教」は、されて気持ちの良い物ではありません。
しかし、お説教は「お説教を受ける人の為の行為」です。
お説教を受ける場合は、一つでも多くの事を得る事を考えて、お話しを聞く事を心掛けてください。
ストレス発散や嫌がらせ
お説教が「ストレス発散や嫌がらせ」になっている場面があり、残念ながら、お説教のイメージはこちらが強い為、嫌がられる行為となっています。
お説教を行う人が、感情の勢いに任せて、考えもまとめず、ただ言いたい事を何度も繰り返す行為があります。
これは、「お説教を受ける人の為の行為」が、「お説教をする人の為の行為」となってる状態で、単なる「ストレス発散」か「嫌がらせ」となります。
お説教について、これらのイメージを持っている、もしくは、持ってしまった場合は、お説教の内容を吸収する事が難しくなります。
これは「お説教をする人」に責任はあるのですが、「お説教を聞く側」にも「姿勢」や「口ごたえ」などの「態度」に問題がある場合があります。
しかし、第3者から見ると、決して良い光景でないことは確かです。
聞き流す
「お説教」が「ストレス発散」や「嫌がらせ」となっている時、これは「悪意のお説教」です。
この「悪意のお説教」については、「聞き流す」事が必要となります。
「悪意のお説教」は、単なる「言葉の暴力」です。
「お説教をされる人の心」に対して、ダメージを与えていく物と考えて下さい。
そして、ダメージを受けない為には、「聞き流す」事が重要です。
「姿勢」として、表現をしてしまうと、「悪意のお説教」が長くなってしまうので、「聞く姿勢」は崩さないで下さい。
そして、「お説教」の中に所々でてくる「キーワード」のみを記憶し、あとは他の事を考えましょう。
「こんばんは何を食べようか?」「今の欲しい物ランキング」「休みの日は何をしよう?」
なんでも構いません。
「悪意のお説教」をまともに聞く必要はありませんし、全てを聞いても、自分の得になるような事はありません。
なぜならば、「悪意のお説教」は「お説教をする人の為の行為」だからです。
ただでさえ、貴重な時間を奪われているのです。
それ以上、余計な負担を自分に強いる必要はありません。
simacatより一言
「お説教」は、「お説教を受ける人の根本的な考え方」を変えて欲しいから行います。
しかし、「人の根本的な考え方」を簡単に変える事はできません。
だから、「お説教」の時間は長くなり、頻度も増えていきます。
そして、残念なのは、この方法は逆効果となる事です。
「お説教」は短い時間で行い、「何を理解したのか?」を確認した方が、「お説教を受ける人」には効果的となります。
世の中には、何回話しても、理解ができない人がいます。
その場合、お説教は意味がありません。
なぜならば、「言葉を理解して貰えない」からです。
そして、「お説教をする人」がストレスを感じる事となるでしょう。
その時は、「お説教」の前に、お互いの考え方を理解する所から始めて下さい。
お互いの考え方を理解した後の方が、「お説教」は効果的となります。
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