仕事の嫌がらせを仕返ししても意味がない!やる気に変える事で成長しよう!!
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はじめに
仕事をしていると、思わぬ所で思わぬ人から、嫌がらせを受ける事があります。
自分には心当たりが無い場合が多いです。
嫌がらせは、単なるストレス発散を目的としている場合もありますし、本当に落とし入れる事が目的の場合もあります。
いずれにしても、迷惑な行為でし、陰湿な行為でもありますので、即刻、止めるべきです。
しかし、人間は育った環境によって、深く考えずに陰湿な行為をする方がいるのも事実なのです。
その様な方に対して、腹が立つのは分かります。
しかし、そのままやり返してしまうと、最悪は嫌がらせの繰り返しが起こります。
陰湿な行いの繰り返しは、非常に無意味な行動ですし、人間性を落とす行為です。
嫌がらせに対して嫌がらせをするのでは無く、その陰湿な行為をキッカケに、自分を成長させる「やる気」に繋げて行きましょう。
「やられたからやり返す」単純な嫌がらせの応戦では意味がない
なぜ嫌がらせを受けるのか?原因を知ろう
大抵は心あたりがないでしょう。
心当たりが無いので、原因を知るのは非常に難しい事だと思います。
しかし、キッカケがある筈なのです。
嫌がらせが始まった時期に、自分がどの様な行動をとっていたのかを振り返って見ましょう。
振り返った結果、もし自分に落ち度があったと気付いたら、「教えてくれて有難う」と素直に感謝し、今後は同じ様な行動を避ける様にしましょう。
行動を見直す事で、嫌がらせも徐々に減って行くと思われます。
嫌がらせを受ける事で自分がどの様になるのか考えよう
嫌がらせを受けても、自分の心や体に、特に変化がなければ、考える必要はありません。
しかし、大抵の方は、嫌がらせを受けていると、人間が信じられなくなります。
いわゆる「人間不信」の状態となるのです。
そして、気持ちが落ち込み、「嫌がらせを受ける場所には行きたいくない」と思う様になります。
しかし、その場所に行かなくてはいけませんし、行くとまた嫌がらせを受けます。
この繰り返しがストレスとなり、徐々に心が病んで行きます。
もう「嫌がらせに向き合う事ができない」と感じたら、無理に向き合うのは止めましょう。
仕事であれば、部署の移動や転職を視野に入れた行動に移るべきです。
ちなみに学生であるならば、無理に学校へ行くのは止めましょう。
嫌がらせを平気でする様な人がいる場所に居ても、ストレスが溜まるばかりです。
もっと、自分が楽になれる場所を探すべきです。
嫌がらせの手段に感心をしよう
嫌がらせが気にならない、もしくは嫌がらせに耐える事ができている場合は、嫌がらせの「手段」を振り返ってみましょう。
嫌がらせの手段は沢山あります。
その一つ一つを「する方」と「される方」の視点にて、客観的に眺めてみます。
この客観的に眺める行為で、嫌がらせをする人の発想力に、感心をする事ができます。
人の悪い所を見つけるよりも、人の良い所を見つける方が難しいとされています。
嫌がらせの手段に感心をする事により、心に余裕も出てきます。
嫌がらせをする人を超えた能力を身に付けよう
嫌がらせをする人の劣る点を知ろう
嫌がらせを受けていると、「何故その様な事をするのだろう?」という考えに取り憑かれてしまいます。
前述しました通り、「何故」については解決している筈なので、いつまでも同じ事を考えるのは止めましょう。
それよりも、「嫌がらせをする方」について考えるべきです。
その方をよく観察して弱点を見つけましょう。
弱点と言っても肉体的な部分では無く、精神的な部分や能力の部分です。
例えば「我慢ができない」とか「文章を書くのが下手」などです。
嫌がらせをする方の、精神的に弱い点や苦手な作業などを把握するのです。
嫌がらせをする人に劣る点で勝ろう
嫌がらせをする方の人間性を疑うべきです。
そして、もし、この様な方に劣る部分があるならば、その点を悩むべきです。
そして、劣る部分について、一つでも勝る様に勉強をしましょう。
嫌がらせを受けても、耐えている時点で忍耐力はある筈です。
嫌がらせと言う負の行いを「やる気」に変えて、精神面でも技術面でも成長をしましょう。
その後、無理にその場に残る必要はありません。
精神面でも技術面でも成長した人は、どこへ行ってもやっていけるのです。
自分の未来の為に「嫌がらせ」を階段を上がるステップの一つとして考えてください。
simacatから一言
学校でもイジメがあります。
そのイジメをしたいた子供たちが大人になるので、当然、社会でもイジメはおこります。
避けられれば良いのですが、狙われてしまうと逃げるのは厳しいです。
しかし、絶対に無理はしないでください。
絶対に逃げる事はできます。
その為に諦める事もあるかも知れませんが、自分の心を諦めるよりはマシです。
自分の心が生きているなら、いくらでもやり直しはできるのです。
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