資料・知識・人間関係、捨てちゃっても良いの?!いる物かいらない物かを考えてみる?!
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はじめに
「いらない物」は、そう感じた時点で、捨ててしまった方が良いでしょう。
そうは言っても、捨ててしまった後に、やはり「必要だった」と、後悔をする事もあります。
その為にも、無闇に捨てるのではなく、「必要になった時、どの様に手にいれるのか?」を考えておきましょう。
「捨てるのではなく人に預ける」というのも良いですし、「他に似た様な物を見つけておく」でも良いかと思います。
そうすれば、「いらない物」を思い切って捨てる事が可能となります。
お仕事でも「いる物」と「いらない物」はたくさんあります。
その中で、なかなか捨てられず、溜まってしまうのが「資料」です。
「資料」の取り扱いに悩む事は多くあります。
また、「いらない物」だけど、捨てられないのが「人間関係」です。
これは非常に繊細な物ですので、下手に扱うと自分の人間性を疑われてしまいます。
そして、「いる物」なのに、勝手に消えてしまうのが「知識」となります。
「資料」「人間関係」「知識」について、「いる物」か「いらない物」か、「捨てる」か「捨てない」かについて考えてみました。
資料
お仕事を行っていると、多くの「資料」が溜まっていきます。
しかし、この「資料」は「いつか使うかも知れない」という思いから、なかなか捨てられず、限られたスペースを占有していきます。
思い切って、捨ててしまっても良いのですが、稀に必要となる時があります。
一度でも、この様な体験をしてしまうと、「資料」を捨てる事に、抵抗を感じる事となります。
もし、捨てる事ができないなら、「その資料は、他の同僚も持っていないのか?」を確認してください。
もし、他の同僚も持っているならば、「自分が所属する部署の資料」として、別に管理をするべきです。
そうすれば、自分の資料を捨てる事はできますし、同僚の資料も、同様に捨てる事ができます。
これは、紙の資料であれば「物理的なスペースの獲得」となりますし、パソコンのデータであれば、「記憶領域の獲得」となります。
本来、お仕事にて入手した資料は、個人の所有物ではなく、会社の所有物です。
従って、「個人で管理」をするのではなく、「会社が管理」をするべきです。
手に入れた資料を「個人の所有物」と考えずに、「自分が所属する部署の資料」として取り扱い、「管理は部署」で行うようにして下さい。
人間関係
「いる物」と「いらない物」を考える上で、「人間関係」は非常に難しい問題です。
自分に必要な存在であれば、「いる物」なのですが、「いらない物」でも、捨てる事が難しいのが、「人間関係」となります。
「人間関係」で「いらない物」を挙げてみます。
- 自分が嫌いだと思う人
- 自分に対して、肉体的・精神的に危害を加える人
- 自分が、肉体的・精神的に苦痛を感じる人
- 自分に対して、損害を与える人
- 社会通念上、一般的ではない人
この様な人たちは、そもそも「いらない物」なので、本来は「人間関係」が構築される事はありません。
「人間関係」が構築されてから、「いる物」か「いらない物」かを知る事となり、「捨てる」か「捨てない」かの判断をする事となります。
「いらない物」であっても、「お仕事に関係する人」「生活に必要な人」だと、捨てる事は難しいと思います。
「無視」ができる範囲であれば、捨てる必要はありません。
「無視」ができるなら、「人間関係は成り立っていないのでは?」と思われるかも知れませんが、言葉を交わす事だけが「人間関係」ではありません。
メールでもなんでも、何かのコミュニケーションが可能であれば、「人間関係」は成り立ちます。
ただ、「無視」ができない程、「いらない物」と感じた時、例えば、「お仕事に関係する人」の場合、お勤めの会社から離れないと、「人間関係」を捨てる事はできません。
「たった一人の、いらない物の為に会社を辞める」事となります。
「生活に必要な人」の場合は、「今の生活を捨てる」事と同じ意味となります。
それだけ「人間関係」を捨てると言う事は難しい事で、考えなくてはいけない事となります。
ただ、考え続け、悩み続け、心を病んでしまう様な事態となった時は、「いらない物」を捨てる必要があります。
「いらない物」がある限り、自分の心にスペースを空ける事ができません。
自分の心にスペースを空けないと、「いる物」を入れる事はできないと考えるべきです。
知識
お仕事の「知識」は、「いる物」です。
そして、「知識」は「記憶」として、蓄積されます。
しかし、「記憶」は「新しい物」を取り込むと、「古い物」は自動的に消去されていきます。
従って、「知識はいる物なのに、勝手に捨てられてしまう物」となります。
多くの「記憶」の塊が、「知識」という状態となっています。
そして、「記憶」は勝手に消されてしまい、断片化されます。
これは、「知識」の塊に、穴が空いてしまう状態となります。
「勝手に捨てられるなら、気にする必要はない」と思われるかも知れませんが、10年前に行っていたお仕事を再び行う事となった時、10年前の「記憶」から辿っていく事となります。
残念ながら、「記憶」は断片的な物となっており、「知識」としては曖昧な物となっているので、10年前と同じ様に、お仕事を行う事はできません。
「知識」は、自動的に捨てられる物と考え、それに備える事を考えましょう。
その備えとは、「記憶」が断片化され、「知識」の塊に穴が空いた状態となるなら、その穴の部分に対して、「記憶同士を紐づける為のヒント」を準備しておく事です。
その為に、「知識をアウトプットしておく」事が必要となります。
何かを学ぶ時は、ノートなどにメモを残します。
これは、勝手に「記憶」から消さない為の工夫となっています。
アウトプットは、ノートなどの紙でも良いですし、電子データでも構いません。
「お仕事の単位」、「学んだ事の単位」で、アウトプットを残しておきましょう。
WEBなどで調べた情報の場合、URLのリンクなどを残しておいても良いのですが、WEBの情報は削除され、リンク切れが発生する可能性がありますので、その点は注意が必要となります。
自分自身でメモなど、記録に残すような対応をとるようにして下さい。
simacatより一言
「資料」「人間関係」「知識」を挙げましたが、世の中のおおよそ物事は、この分類に当てはまります。
「いる物」と「いらない物」の判断に悩む時は、捨てない事を選択してしまいがちですが、代用できるものがあるなら、捨ててしまう事をおすすめします。
結局、たくさんの何かを持っていても、「いる物」は、すごく限られているからです。
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