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強欲とケチ?!欲しい気持ちも失いたくない気持ちもまったくないのは問題です!!

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6927 ビジネスコラム
simacat.com

強欲とケチ?!欲しい気持ちも失いたくない気持ちもまったくないのは問題です!!

聞き流し用動画(YouTube)

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はじめに

「たくさんのお金」、「たくさんの物」を欲しがる人は、「強欲」と呼ばれています。

逆に、少しの物でも無くなる事が気になったり、1円のお金も、使う事にためらう人などは、「ケチ」と呼ばれています。

どちらも、「できるだけ多くの物を自分に残したい気持ち」には、変わりはありません。

そもそも、「欲しいの物の為に頑張る」事は、誰も否定しないでしょし、「食べる物がないので、他人に物をもらう」と、「なぜ、とっておかなかった?」と言われるでしょう。

したがって、「強欲の気持ち」も、「ケチの気持ち」も、まったく無いのは問題となります。

「程度」や「加減」は必要となりますが、どちらも必要な気持ちとなります。

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強欲とは

「強欲」とは、非常に「欲求」が強い事です。

「自分が持っていない物を欲しがり、人が持っている物を欲しがる」など、どれだけ手に入れても、満足する事はありません。

そもそも「欲求」は、誰もが持っている気持ちです。

「欲求」といわれれると、「3大欲求」を想像する人が多いと思います。

「睡眠欲」「食欲」「性欲」です。

この「3大欲求」は、人が野生で暮らしていた頃に、「生きていく為」「子孫を残していく為」に必要な「欲求」となります。

現在の複雑な社会では、この3大欲求が満たされても、まだまだ足りる事はありません。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』にて、「欲」を検索した結果を引用します。

獲得:財物を得ようとする欲求。

保存:財物を収集し、修理し、補完する欲求。

秩序:整理整頓、系統化、片付けを行う欲求。

保持:財物を持ち続ける、貯蔵する、消費を最小化する欲求。

構成:組織化し、構築する欲求。

優越:優位に立つ欲求。達成と承認の合成。

達成:困難を効果的・効率的・速やかに成し遂げる欲求。

承認:賞賛されたい、尊敬を得たい、社会的に認められたい欲求。

顕示:自己演出・扇動を行う、はらはらさせる欲求。

保身:社会的な評判・自尊心を維持する欲求。

劣等感の回避:屈辱・嘲笑・非難を回避する欲求。

防衛:非難・軽視から自己を守る、また自己正当化を行う欲求。

反発:二度目の困難に対して再び努力し、克服・報復する欲求。

支配:他人を統率する欲求。

恭順:進んで他人(優越な人間)に積極的に従う欲求。

模倣:他人の行動やあり方を真似する欲求。

自律:他人の影響・支配に抵抗し、独立する欲求。

対立:他人と異なる行動・反対の行動をとる欲求。

攻撃:他人に対して軽視・嘲笑・傷害・攻撃する欲求。

屈従:罪悪の承服・自己卑下の欲求。

非難の回避:処罰・非難を恐れて法・規範に進んで従う欲求。

親和:他人と仲良くなる欲求。

拒絶:他人を差別・無視・排斥する欲求。

養護:他人を守り、助ける欲求。

救援:他人に同情を求め、依存する欲求。

遊戯:娯楽などで楽しみ、緊張を解す欲求。

求知:好奇心を満たす欲求。

解明:事柄を解釈・説明・講釈する欲求。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%B2 より引用

28個ほどの「欲求」があげられています。

「強欲」のイメージは、「自分の立場や物を得たり、保持する」事でしょう。

「強欲の気持ち」があると、どれだけ「得ても」、どれだけ「保持しても」、満たされる事はありません。

ただ、「強欲の気持ちは、いけないのか?」という質問に対する回答は、「ノー」です。

「欲求」は、人を動かす原動力です。

「それが欲しいから」「それを守りたいから」という目的を持ち、その目的を達成する努力をします。

この「強欲の気持ち」が、「自分の知識や技術を向上させる事」や「人を助ける事」に向けられるならば、悪い事とは誰も思わないでしょう。

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ケチとは

「ケチ」とは、「お金や物を出したがらない」「貧弱」「くだらない」「気持ちが狭い」など、人を指すときに使用される言葉となります。

一般的に、「お金を使わない人」をさすのですが、「必要以上のお仕事はしない人」に対しても、使用されます。

「ケチな気持ち」は「保持の欲求」となり、「財物を持ち続ける、貯蔵する、消費を最小化する欲求」となります。

自分が「持っている物」や「お金」を減らす事に、抵抗を感じます。

しかし、「ケチ」であっても、生きていく上では何かを得なくてはいけません。

この時、「ケチ」の真価が発揮されます。

それは、「付加価値を求める」事です。

「付加価値」とは、「本来の価値」に上乗せされる「価値」となります。

例えば、「卵を1個50円」で販売している会社が、3社あります。

3社のうち2社は、ニワトリに普通の餌を与えています。

しかし1社は、卵の栄養価が高くなる、「特別な餌」をニワトリに与えています。

3社とも、1個50円で「同じ価格」なのですが、「特別な餌」を与えた1社の卵は、「栄養価が高い卵」となり、その卵には、「特別な価値」が加わります。

これが「付加価値」となります。

もちろん、コストや利益の問題はあるのですが、誰でも同じ値段なら、「付加価値」が加えられた、「価値の合計が高い物」を選びます。

「ケチな気持ち」は、この「価値の合計が高い物」に対して、異常な程のこだわりがあります。

従って、「同じ価値なら価格の安い物」「同じ価格なら価値の合計が高い物」に固執します。

これも、「悪い事なのか?」という質問の回答は、「ノー」となります。

この「ケチ」が何かを得る時の発想は、おなじ「ケチ」にしか分かりません。

何かを得る時、何かを行う時、この「ケチの気持ち」の発想は、重要視されます。

なお、「ケチ」の悪いところは、「同じ価格で、同じ価値の時」に、「値引き」や「おまけ」を求め過ぎ、相手への配慮ができなくなる点となります。

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simacatより一言

「強欲が強すぎる人」や「ケチがキツすぎる人」は、まわりの人の気持ちを理解できません。

「我が道を進む人」が多く、「クセが強い人」が多くいます。

しかし、「考え方」や「行動力」は、お手本にするべき点が、たくさんあります。

遠くから見て、参考にする程度なら問題はないでしょう。

ただし、もし、近付き過ぎて、気分を害するような事があるならば、距離をとるようにしてください。

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