【ざっくり解説】バブルとは②?!80年代後半のバブル景気がはじまったキッカケとは?!
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はじめに
「バブル景気」という言葉を聞いた事があると思います。
実際に日本では何回かバブル景気という時期がありました。
「バブルの頃は景気が良かった」という事は誰でも聞いた事があると思います。
「バブル景気」、良いですよね。
今回は「80年代後半の日本のバブル景気がはじまったキッカケ」について「ざっくり解説」をいたします。
「バブル景気となった背景」について、ざっくりとしたご紹介となりますが、安定の「ざっくり」なので、気になった人は、ご自身でさらに深堀りをして頂きたいと思います。
なお、「日本の80年代後半のバブル景気」のキッカケについては諸説あります。
今回はその一説とご認識ください。
80年代後半のバブル景気の前の好景気
「80年代後半のバブル景気」の前には「いざなぎ景気」という時期がありました。
こちらは東京オリンピック後の1965年11月から1970年7月までの57ヶ月間、続きました。
この時、「金融緩和による金融政策」や戦後初の「建設国債(いわゆる国債)の発行」などがおこなわれました。
またアメリカの好景気も、この「いざなみ景気」に影響したといわれています。
しかし、この「いざなぎ景気」は「賃金や物価の上昇の抑制の為の金融引き締め」と「1973年末の第一次オイルショック」により、収束していきました。
ちなみに、円とドルの為替レートは1971年まで固定相場で「1ドル360円」という恐ろしい「円安ドル高」でした。
しかし、この「円安ドル高」があった為、日本の輸出が急速に伸び、これも「いざなぎ景気」の一因となっています。
80年代後半の日本のバブル景気がはじまります
「日本の80年代バブル景気」とは「1986年12月から1991年2月までの51ヶ月続いた好景気」となります。
「いざなぎ景気」の後、1973年2月に「変動相場制」が取り入れられました。
「いざなぎ景気」では、「1ドル360円」という「ドル高」の中で貿易がおこなわれていました。
日本にとっては「好景気の一因」となりましたが、「アメリカでは逆の現象」が起こります。
海外製品ばかりが売れ、アメリカの自国製品が売れず、景気の悪化が深刻となりました。
これを解消する為に1985年9月に「プラザ合意」というイベントがありました。
これはG5(日本,アメリカ,ドイツ,イギリス,フランス)により、「為替レートに介入してドル高を抑える」という合意です。
この「プラザ合意」により、1985年には「1ドル200円」、さらに一年後には「1ドル150円」までドルが引き下がる事となりました。
ちなみに、これはプラザ合意を境に「円高ドル安」となったと表現されます。
「円高ドル安」となった事により、日本では今まで高かった海外製品の価格が引き下げられる事となります。
しかし、今まで「輸出を主体としていた企業」は海外での値段が高くなる為、大打撃を受ける事となりました。
そもそも「輸出」は「日本の好景気を牽引した産業」です。
よって、「輸出産業のピンチは日本経済にとっても深刻な問題」となります。
この為、日本では「低金利政策(金融政策)」が実施されました。
この「低金利政策」により、銀行からお金が借りやすくなりました。
「借りたお金による設備投資や新規事業の展開」にて、「円高による影響」を抑える事ができました。
そして、この「低金利政策」の恩恵を受けたのは「輸出産業」だけではありません。
「一般の企業」や「個人」も、「お金が借りやすい環境」となりました。
そもそも「円高の状態」となっている為、「日本国内で製造をして販売をするほうが、利益が大きくなる」事となります。
よって、「銀行から借りたお金の行き先」は「国内企業に向けられる」事となりました。
そして、日本国内で製造する為には、「工場」が必要となります。
この「工場」を建てる為には「土地」が必要となります。
その為、多くの企業が銀行でお金を借りて「土地の購入」をおこないました。
これにより「土地の価格が上昇する」事になりました。
そして「今、土地を買っておけば将来は必ず価格が上がる」という「期待する価値」が先行するようになりました。
銀行でお金を借りて土地を購入し、値段が上がったら売り、またお金を借りて土地を購入するという「財テク」がブームとなりました。
そして、これが繰り返された為、「土地の価格の高騰」となりました。
「バブル期」では「土地の価格の高騰」が目立ちますが、もう一つ、「株式の高騰」があります。
実は「土地の価格の高騰」よりも先に「株価の高騰」が起こっていました。
ちなみに当時の日経平均株価の推移となります。(各年12月の終値)
- 1980年: 7,116円
- 1985年:13,113円
- 1986年:18,701円
- 1987年:21,564円
- 1988年:30,159円
- 1989年:38,915円
- 1990年:23,848円
- 1991年:22,983円
- 1992年:16,924円
そもそも、バブル期に入る前の1980年から、バブル期に入る1986年まで、株価は上昇傾向となっていました。
そしてバブル期の1989年には「38,915円」という史上最高値(2022年12月現在)となりました。
「株式」や「土地」を購入しても、お金が余っている企業や個人は「美術品など」の購入もおこないました。
もちろん、「バブルの影響」を受け、「期待する価値」が先行している為、「異常なほどの高額」となっていました。
しかし、この時のバブルは「株価」「土地」「美術品」など、「資産に対する限定的な価格の高騰」となっています。
一般物価の上昇率は、「0.1%~3.1%」なので、それほど物価の上昇はしていなかった事が知られています。
とはいえ、「株価の高騰により会社や個人の資産が増えている状態」であった為、さらに「お金が借りやすい状況」でもありました。
現在では禁止されていますが、投資による損失を証券会社が穴埋めする「損失補填」が「株式投資を加熱させた要因のひとつ」とも言われています。
「財テクブーム」により「株式投資」がおこなわれ、それが「土地への投資」に向けられた事で「株価の高騰」や「土地価格の高騰」となり、これが「バブル景気」に至る事になったと推測されています。
simacatより一言
「80年代後半の日本のバブル景気がはじまったキッカケ」について「ざっくり解説」でした。
「バブル景気」となった原因を「カネ余り」と説明している文献があります。
この「カネ余り」が起きた原因が「低金利政策(金融政策)」となります。
そして、「低金利政策にて借りたお金の行き先」が「株式」や「土地」への投資につながり、それがブームとなり、加熱し、「バブル景気」になったとしていますが、投稿時点の2023年1月現在も「低金利政策」がおこなわれているにも関わらず、なかなか景気の回復にはいたっていません。
よって、この「80年代後半の日本のバブル景気」となったキッカケには他にも様々な要因があったと考えられています。
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